自分らしく生きるを一緒に考えるー南紀支援学校総合授業

自分らしく生きるを一緒に考えるー南紀支援学校総合授業

「こうせねばならない」「これができないと困る」
そうさせることがこの子のためである。
私も以前はそう思っていました。

しかし、自律した働き方を学ぶ場を運営する中で、その考え方は180度反転。
もちろん行動すればスキルや技術が身に付きはじめます。
その時は成長はそのまま続くように思えてほっと安心します。
しかし、パッタリと成長が止まる瞬間が訪れます。

けして能力が劣っているように思えない。そういう人がどうしても前に進めなくなるのを何度も目の当たりにしてきました。

なぜなのか、受講生たちを見つめながら、試行錯誤してきました。
そして見つけた共通点は「自分の価値観を無視し、ねじ曲げている」ということ。
「こうせねばならぬ」「こうならなければならぬ」「こうであるべき」という思い込みが強く、本来の自分の価値観を無視しているのです。

自分の価値観を隠している中では自信がつかず、意見も持てません。

失敗を恐れるようになり、失敗しないように行動しなくなります。正解と確実に思える解を探し続けます。
スキルというのは基礎的なところまでは根性でもやり切れます。
しかし、高度になるにつれて自分の意見を持ち、チャレンジすることでしか身につけられなくなります。
そうなるとそこで止まってしまうのです。

自分の価値観をねじ曲げていると、いつしか自分の価値観がどこにあるのかすらわからなくなります。
自分がわからない中で指標を社会に求めると、外交的でエネルギッシュな像が理想なのだといつしか思い込まされます。
それが自分の価値観と異なれば、大きなストレスを感じることになります。
努力や根性が足りないんだと成果が出ない中でやり続けたり、ストレスの中で精神的に疲れてしまったり。
どちらも自律した働き方には程遠い形です。

学びは「自分」という土台がなければ成立しません。
大人になるとその土台がぐらぐらだという事実に目を向けることすら難しくなります。
うすうすわかってはいるけれど直視したくないのです。
直視できるように自己肯定感をあげていくためにはかなりの時間がかかります。
そういう多くの事例を見てきたTETAUは危機感を持っています。
子供の頃から土台を作っていかなければ、既に突入している創造的な社会には適応しにくくなってしまうと感じます。

逆にスキルや技術がなくても土台があり、自分が何を大切にしているのかということを知っている人は強い。
スキルや技術は後からついてくるのです。
そういう人は人望もあり、周りの人も助けてくれます。

大事なことは「〇〇ができなければならない」ということではなく、
自分のことをどれだけ知っているか、自分にあったフィールドを選べるか、失敗を恐れずにチャレンジできるかです。

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2020年から和歌山県上富田町にある南紀支援学校にて総合の授業を提供させていただいています。
わたしたちTETAUの活動の主軸となっているICTやクリエイティブ、自律的学習が支援学校の生徒さんの選択肢を広げるのに役に立つであろうと考えるからです。

また、わたしたちTETAUもチームの中での多様性のあり方、また人の可能性の拡げ方を深く学ばせていただける機会として大変ありがたく感じています。

今年は、「ショッピングサイトの運用を通じてICTに触れ、社会との接点を感じ、考えていく」ことがテーマです。地域の企業にも関心を持っていただきたく、今回は田辺市の株式会社モリカワ様のご協力を得て、全15回の開催を予定しています。

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教育にもICTやアクティブラーニングなどの「考える力」を身につけるクリエイティブが取り入れられてきていますが、どうしても手法ばかりが先に目立つような気がしています。
確かにICTもクリエイティブもとても有用なものだと考えていますが、手法ばかりでなく、根本的なことに目を向けるべきだと考えています。

そのため、この授業では「振り返り」を大切にしています。
どう思ったか、どう感じたかを意識的に発言してもらっています。
自分の意見を外に出し、それが受け入れられるという経験を大切にしたいと思っています。

子どもたちは大人が言わなくても、そう見えなくても、自然と反省し、プレッシャーを感じています。
「なんでできないんだ」と大人が思っても、やる気がないわけでも、気づいていないわけでもなく、わかっているけれどやれないのです。それはほとんどの大人も新しいことに対しては同じ反応です。

最近の授業でも「すぐに返事ができるようになる」という目標が出てきました。
もちろん、そうなれるように努力することは素敵なことではありますが、もう少し広げて考えてみよう、と促しました。
本当に瞬間的に返事をすることが必要なのだろうか、もっと他に大事なことはないだろうか、自分はすぐに返事が来なければ怒るのか。

わたしたちが授業における役割だと思っていることは、ICTの技術を教えることでもなく、非日常の体験を行うことでもなく、そのクリティカルな問いを自分でできるようになってもらうことです。
そうして自分自身が大切にすべきものを知ってもらうことです。

社会の形に合わせなくても、自分の形をつくることが自律であり、
クリエイティビティを発揮すれば、障害ではなくなる障害がたくさん出てくると考えています。
むしろこれから、「障害」という言葉が指す意味が変わっていくのではないでしょうか。

だから障害のあるなしではなく、考えられる人は考えてほしい。
考えられなければ周りの人が考えてあげてほしい。
型にはまることはすでに安心な方法ではありません。
型にはまるのではなく、土台をつくることこそ、自分らしい生き方につながっています。

自分という土台がしっかりしていれば、ICTやクリエイティブの可能性は無限大。
何ができなくても、どんな特性を持っていたとしても、可能性に溢れている世界に生きていけると信じています。